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超法規的措置


  江戸時代,大岡裁きで有名な南町奉行大岡越前守について,吉川英治という作家が書いた「大岡越前」という本の中で,南町奉行大越前が八代将軍吉宗に捕縄をもって取り調べをする場面があります。それは五代将軍綱吉の作った生類憐みの令により,親を失い身を落とし犯罪者にまでなり下がった罪の元凶を裁くためで,「天下の法令は世の誰と誰とに適用するものか。将軍家は法の上のものか,法の下にあるものか。」「なんと努力しても,法の上に,法の掣肘を受けない特殊な人々があったのでは,しょせん,千万カ条の法令を掲げても,諸民の上に,それは空文だということが相わかりました。」という越前の説諭に,「おもえば,怖ろしいことであった。いわれもなく無辜の民やあわれなる宿命の者が麻縄や白い牙にかかって呻きの闇へ投げ込まれていったことだ。吉宗が生あるうちには,きっと牢に人なき世を作って見せるであろう。」と吉宗は詫びた。法の上に人がいることがまさに罪の元兇であると悟ったのです。

  明治時代,滋賀県の大津市で,警察官がロシア皇太子を襲撃して傷害した「大津事件」が起こった。当時刑法では謀殺未遂は無期徒刑以下の刑罰が定められていた。強国ロシアの報復を恐れた政府は「天皇らに危害を加えたものは死刑に処する」との条文をもって起訴させ,裁判官にも面会をして誘導しようとしたが,これを曲解として裁判官は死刑にしなかった。政府や政治家は,犯人を死刑にして謝らなければ国難が来る。国家ありての法なり。区々たる法文に拘泥して国家の重きを軽んじる学究の迂論なりと激しく批判した。しかし,この結果は政治家の不用意が招いた結果です。旧刑法の草案ができたときに,外国人に対する罪と皇室に対する罪の二つについてはあらかじめ元老院の伊藤博文に具申したが,伊藤は皇室に対する罪を残したが,外国の皇室や国家に対する犯行が起こるとは思いいたらなかったのか外国人に対する罪を全部削除させたのです。このために皇室に対する罪を犯したとされる幸徳秋水の「大逆事件」は法文があったので処罰でき,「大津事件」には死刑に適用すべき法文が無かったのです。

 昭和時代,日本赤軍の犯人5人が飛行機をハイジャックして乗客ら156人を人質に身代金と拘束中の囚人らの引き渡しを要求する「ダッカ事件」が起きた。総理大臣は「人の命は地球よりも重い。」と彼らの要求に応じることとし,「超法規的措置」を発動しました。超法規的措置とは,国法が定めた規定に反する措置で違法です。本来違法な措置ですが,人道目的や人命救助目的で政府が特別に行うことで,「超規的措置」と称してその違法性を不問にされたのです。

 平成時代の今,私大の獣医学部新設に関して,総理大臣の意思を「忖度」そんたくしたとの疑惑「加計学園の問題」が広がっています。これに対してお金が動けば贈収賄などに犯罪だが,お金が動いたという話も出ていない以上法に触れないのだから問題ではない。忖度したとの文書の存否を問題にするより,そもそも獣医学部の新設が妥当であったか否かが問題なのだとの主張をする人もいます。法治主義のもと法規に従って行政を行うべき官僚が,総理の意向を推し量って便宜を与えたのではないかというのが根本の問題なのですが,行政の法規は司法と違って政策的なものなので裁量の幅が大きく,総理の意向を忖度しなくても忖度しても,結果は大きく違うのに,どちらも違法にならないのが普通です。従って忖度するか否かは,法を超えた問題ですが,目的の正当性が疑問視されるうえ,政府でなくその下の官僚が行うところが,超法規的措置よりももっと簡単に広く行われやすいところが危険なのです。

 こうやって振り返ると,江戸時代は絶対的権力者の将軍にさえ立ち向かい,明治時代は国家の危急にさえ法を越えさせなかったのに,昭和には超法規的措置という言葉で法を超え,平成では総理が明確に命令したわけでもないのに意思を忖度して法を自由に操作するようになった。法の精神は時代の流れと共に進歩したのでしょうか?それとも退歩しているのでしょうか?


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